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カミヤ珈琲

学生時代から懇意にしておりました出町柳のカミヤ珈琲店が去年末に閉店したことを知りました。東京に持っていく土産(金平糖)を買いに出かけたついでに、久々に寄ったら無くなってたという。いや、今年下鴨神社に参った時にどうもひっそりしてるなとは思ってたんですよね(夜だったけど)。

ここのハヤシライスは本当に絶品でございました。もう食べられないのだなあ。
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2009.08.24(Mon) - blog
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昨今の時間の過ごし方

いやはや、忙しくてダメですね。
いろいろと手を変え品を変え続けてきましたが、あえてオンラインで文章を残しておく意義といったものがそろそろ失われつつあります。この半年、これは自分にとってはおそらく進歩なんですが、匿名性を保ったまま文章を書くことにさほど重要な意味がなくなってきたように感じます。論文書いたりちょっとした記事を書かせてもらったり(もちろん研究内容で、非常に専門的なのですが)、そういう機会に恵まれるようになってきていることがそのように思わせるのでしょう。

もっと偉くなれば、逆にオノレの名前で看板ぶち上げて自分のサイトを作るというのもアリなのでしょうが、どうにも中途半端なので、悩むところです。案外mixiとかの方がいいのかしら?

この半年の変化はもう一つあって、実はほとんどゲームしてません。その分アニメを観たり漫画ラノベを読んだりする時間が増えました。なぜだろう。わかんね。論文書き始めると、何かしていてもそっちに意識が向くのでゲームはちょっと厳しいんですよね。

一方で、学生やら若手(自分も若手なんだけど)、ぼちぼち各方面で頭角を現している友人達とダラダラトークしてるのが一番楽しいように思います。それと近いのが、2ch中にたまにある、異様に高度な内容が凝縮したスレッドで問答すること。これがなかなかに意義深い。知識の蓄積速度が飛躍的に高まるのが感じられます。知らないこと、知っていたつもりなのに全くの無知であったと痛感させられること、誤って理解していたこと、多面的な情報の解釈が次々と見出されるのは痛快でもあります。

知らない単語や意味が分からない単語を調べているだけで数時間は軽く吹っ飛んだりするので、まあ時間が無いのは当然かなというところですね。

2009.08.17(Mon) - blog
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DITという考え方を展開する

情報をある種の生命現象と見るという考え方について、ちょいと前に書きましたが、実際にはこういう考え方は既にあって、ミームと名付けられています。

参考:ミーム(wikipedia)
これを読む限り、文化進化に関する切り口としてミームが提唱されたのですね。提唱者はドーキンス、有名な著書「利己的な遺伝子」での記載だそうです。

この本、確か和訳がちょうど学部生だった前後の頃に出版されて、まさに分子生物学・分子遺伝学を勉強していたこともあって、どうも読む気になれなかったというのを思い出します。なんか胡散臭い気がしたんだなー。読んでおけばよかったと思う反面、当時は分子生物が面白く感じていたこともあって、多分気にも留めなかっただろうなと想像しています。


で、この辺をヒントにいろいろと調べていくと、これよりも自分のイメージともっとしっくり来る考え方が「二重相続理論(DIT)」というものであるようです。

参考:二重相続理論(wikipedia)
簡略して書くと、「文化進化と遺伝子進化は、双方向に干渉している」ということ。これはもう、非常にしっくり来ます。ただ、少なくとも現時点で注意しなくてはならないのが、この辺は結局のところ実証されていない点。また、wikipediaにも記載されていますが、抽象的な概念であるがために、その意義が充分見出せないという点。乱暴な言い方をすれば、今なおSFの域を出ないし、「だから何?」というところから抜け出せないのかな、という感じです。

私の感覚では、例えば人間のせいで絶滅に追いやられた生き物達が云々、という話がよく自然愛護などの観点から声高に叫ばれる一方で、DITの観点からヒト以外の生き物も考えるべき、少なくとも観察すべきと思います。「だから何?」なんてのは生き物的に無責任極まりないと思うわけです。

なぜなら、このDITという考え方、決して人間だけにあてはまるものではないからです。人間の文化進化は近しい生き物、ひいては全ての生き物(これは言い過ぎかも)にも影響を与え、それらの遺伝進化を牽引しているはずです。ていうかそっちの方が影響でかいはず。「こんな風に変わる(進化する)つもりなかったんですけどね」と思ってる生き物もいるんじゃね?みたいな。いや、これは概念そのものを思いっきり擬人化した表現ですが。

それを反省したり逆流したりする必要は感じません。ヒトは知的生物であるがために、普通に生きている限り文化進化を起こすのは当然なのです。しかし、自分たちの生き様が他の生き物達に与えたであろう影響については、せめて認識し、観察し、理解していきたいと考えています。別に自分は人類の代表でも何でもありませんが、これでいいのかな、これでよかったのかなと、心配してしまう感情が浮かびます。

この辺、自分の中にある「人間は嫌いなんだが、でも好きだ」という矛盾した感覚とひどく一致するのかなと。自分が生き物に接する時、あるいは思考を巡らせる時の感情について、うまく説明できている気がします。

自分は生き物が好きでたまらんのです。エコロジカルサヨクなのです。

2009.03.30(Mon) - blog
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名古屋は面白かった

一週間前の話ではありますが、名古屋はいろいろ面白かったです。

地元の先生にいろいろ連れて行ってもらい、台湾ラーメンやら味噌煮込みやら味噌カツやら、かなり高度なレベルでなごやめしを堪能できましたよ。でもあつた蓬莱軒には行けませんでした。くそう。シンポジストの先生らの宴会にひょんなことで参加することになったはいいものの、予想外に金かかったんで諦めたのでした。次に名古屋行くことがあったら、最後のターゲットとして突撃せねばと思っております。

今回は、研究という職業についていろいろと深い話も聞いたり喋ったりもできました。若かった頃は学会と言えば退屈な時間が多かったりしたものですが、ヒマな時間がまるで無くなってきました。多分良いことです。一般的に研究というと、能力が最優先の俗世離れした正統的実力社会と思われがちですが、必ずしもそんなことは無く、横の繋がり、コミュニケーションがなくてはお話にならないというのは間違いありません(余程の天才は別で、またそういった天才を排除せずに受け入れる余地があるのは確かですが)。自分は天才ではありえないので、いろんな話をいろんな人から聞いて勉強した方が、あらゆる意味でタメになるのです。

2009.03.22(Sun) - blog
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口演発表が良いです

今週末の学会が山で、とりあえず一段落します。久々の名古屋ですが、スケジュール的に思ったより盛りだくさんで、あんまり時間の余裕は無さそうです。できれば大須でいろいろ見たいんだけどなー。

先週は東京での学会でしたが、こういう時は親宅(関東にある)に泊まるとき以外は、基本的に池袋に宿を取るのがパターンになっています。給料をもらって仕事で上京するようになってからというもの、池袋東口のタカセグリルでビーフシチューを食うというのがお約束になっているのです。スパゲッティなんかが入ってたりして、本格的というよりはいわゆる洋食というヤツなのですが、値段といい味といい、非常に気に入っております。美味いぞと断固力説できるという感じではないのですが、機会があればぜひ。

今回は珍しく2泊したので、立ち食い寿司やらつけ麺やらを食う機会があり、いろいろ楽しめました。立ち食い寿司、初めて食ったんですが美味いなー。何より安い。今度から寿司が食べたくなったらこういうのでいいやと思っています。

肝心の学会の方は、今回出揃っていたデータ内容が中途半端だったのでポスター発表にしたのもあって、今ひとつ集中できませんでした。下手にカッコつけず、貪欲に口演発表したほうが良かったなと反省。こういう場では、たとえ無様でも目立った方がいいのかもしれんと思います。練習にもなるし。ちなみに今週の学会は幸いワークショップに採択されたので、強制的に口演です。なんとなく、楽しみです。

一方、懇親会でのディスカッションは思いの他有益だったかもしれません。いい勉強になりました。学生時代の知り合いが多すぎて忌避していた分子生物学会ですが、ひょんなことから誘われてしまったので、今年はノコノコ出陣するかもしれません(まだ様子見中)。

名古屋では、とりあえずあつた蓬莱軒のひつまぶしを食ってきます(・∀・)ノ

2009.03.10(Tue) - blog
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学会ラッシュ

さて明日からまた関東上京です。学会ラッシュ継続中~。
前エントリと前後する内容なのですが、先週の学会後での懇親会で、「貴様の発表は情報量が多すぎて、後でもう一回考えないとサッパリわからん云々」といったような趣旨の貴重なコメントをいただいてしまったので、これを踏まえてちょっと考えなくてはと思っています。

情報量が多いこと自体は実際には悪くないことではあります(多分)。でも、10を伝えようとして5しか理解・興味を与えられないのであれば、最初から7程度の内容にして6伝わるように努力した方がいい、ということです。講義などとは異なり、学会じゃこっちから見せられる資料の分量も限られてますし。

・・・でも、あえて情報量減らすのも自分流じゃない気もするんだなぁ。この辺は益の無いこだわりなのかもしれませんが。

どうも、質問を先読みしすぎるところがあって、スライドで提示するデータはともかくも、口頭での言い回しが分散的になっているのではないかというのが自己反省点です。集中して聴けた他の先生の発表を反芻すると、確かに情報量自体はかなり抑えてある気がします。


とまあ、あまり評価の高くない自分の発表ですが、これでも随分マシになってきたらしいです。昔は何喋ってるかわからんかった、とかドサクサに言われてちょっと傷つきましたよ。昔の方がシンプルで内容薄かったから、理解しやすかったはずなんだけど。

ともかくも、プレゼンはまだまだ改良していく余地がありそうな気配です。

2009.03.04(Wed) - blog
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社会学が見せる液体的な記述世界

感染症の研究を比較的マクロな視点から考察するには、一般的には「文系」というカテゴリーに属すると思われがちな社会学的観点も必要になるという、ちょっと新しい(?)考え方があります。

簡単な例を挙げると、例えば天然痘という感染症は人間が唯一撲滅に成功したウイルスによるものであったわけですが、このウイルス、別に生物としてヒトに負けたわけでも何でもなく、人間が公衆衛生を学び、ワクチンを見出した果てに地球上からいなくなったのです。そうして生物として、終わったのでした。

じゃあ何でそんなことになってしまったのかというと、これはもう疑いも無く「人間が構築してきた社会に適応できなかったから」なんですね。ヒトに感染する病原体を考えるなら、それは人間が生きる社会なるものの影響を相当色濃く受けるという側面があるはずなのです。たぶん。

で、高校時代の友人に、社会学をやっててある意味進出気鋭とも言うか、頑張ってるヤツがいまして、学会で上京したついでに久々に会って来ました。もう准教授だって。ココ最近同世代でそのぐらいになるヤツが増えてきたなと感じます。いやはや、なんという取り残されっぷりであることよ。

で、そいつは文学部で、まあ俺はお察しの通り理学部出身なんですが、ある意味水と油というか、文学部は自分にとって最も未知の領域なのです。学部時代に各学部の専門授業にコッソリ潜り込んで遊んでいた自分ですが、文学部だけは未踏です。フランス文学の授業に片足突っ込みかけたぐらい(1回目の講義直前に都合が悪くなって行きそびれた)。

あまりに遠い関係だと、人間無意識に似ている所を探したりして、「意外と似てるよね」とか言ってみたくなるもんです。逆に妙に似通ってると違うところを探して「全然違う」と言いたくなる物です。

自分は文学部野郎とは意外と似ていたようです。大変に面白い話が聞けました。


本来会いに行った目的というのは自分の仕事との関連事ですし、長くなるのでこの際割愛しますが、話をしていて最もインパクトが大きかったのは文献・論文に対する物の考え方でした。ご存知の通り、理系的論文というのは文章の中で完結していなくてはいけないわけです。著者の存在はそこには無く、極端な話、誰が書いたか気にしなくてもそんなにひどいことにはなりません。もちろん、たくさん読むようになると無意識にも名前を覚えていたりすることはありますし、それが勉強の上で重要なプロセスになったりすることもあるのですが。

一方、社会学(あるいは文系的?文献)となると、著者の他文献や諸活動から推察される立ち位置や考え方、さらにはそれが書かれた社会情勢などを加味した上で著書を考察することが大きな意味を持つようです。もちろん読み手である自分もその例外でなく、様々な信条、読んでいる状況が大きな影響を与える、と。さらには、そのような推察や各情報の取捨選択から新たに自分で文書を書き起こす際には、全てそのような視点で考察されることを(ある程度)予想し、また期待するという節があるそうです。社会学を取り巻く文献、学術的権威とそれを利用する面々に求められる恣意性(リップサービス)さえも当たり前のものとして受け入れる。極めてソリッドな役割を求められる理系的文献と比較して、なんとまあ液状であることか。

正直なところ、自分と全く持って相容れない感情を持ちましたが、それと同時にこれまであまり意識してこなかった学術領域が垣間見えたような気がします。それはそれでありなんじゃね? みたいな。

事実、そのようなジャンルがある程度確立しており、また、多様な情報源として構築されているわけです。曰く、昨今の経済破綻は、本来そのように液体的であるはずの情報を、あたかもソリッドな前提であるかのごとく捉えることによって理論を確立しようとしたことに少なからず原因があるのだとか。仮にそうだとすれば、そういう情報をより正確に読み解き、考察していくというのは相当なポテンシャルを持っているのではないかと思います。

とは言え、聞いてきたことを今文章にまとめてハタと気が付いたのは、「既存の文系情報から真実を推定する」というのはとんでもなく至難の技なんじゃねーかということ。社会現象を客観的にただ淡々と数値化することの難しさは、その作業自体の困難さだけではなく、それが許されない場面も多々存在したということもあるのだろうなと感じました。

つまり、自分にはまだまだ当分使いこなせそうに無いということです(´・∀・`)

2009.03.02(Mon) - blog
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情報、意思、生命現象

情報というのは、ある種の生命現象と似たものではないかというイメージがあります(俺の中で)。いや、正確に言うと、ウイルスのように生物を宿主(環境)として増殖するものと同列のものとして考えると、しっくりくるところがあります。

具体的には、例えばE=mc2という情報。アインシュタインが発表して、伝えられて、広がって、やがてソレを知る者が多数を占めるようになっていく。増えてますね。つまり、情報はヒト(知性)を宿主(環境)として、伝達されることによって増えるという側面を持っているわけで、これはまさにウイルスと一緒じゃあないかということです。コンピュータウイルスなんか、まさに名前からしてそのまんまですね。違う点は、ヒトというのは情報を勝手に覚えてしまうので、別にコンピュータウイルスのように積極的に増えるように仕込んでやる必要も無く、そういう側面を最初から持っているわけです。(究極的には、知性すら必要としない)

もちろん、厳密には「生命」じゃないですよ。ウイルスも「宿主」が無くては増えられないという点から、生命の定義からは外れるとされています。しかし、上にチラッと書きましたが、「宿主」というのはウイルス側からすれば「環境」に他ならないわけで、それに適応する限りにおいては、自発的に増殖する生命体になる必要性も方向性も極めて希薄なのです。もしウイルスが「これじゃあダメだ」と思ったりしたら、そこから脱却するべく努力したりするのかもしれません。

で、少し脱線しましたが、「意思」とか「個人」とかいうのも、極論的には情報なのです。偶然によって培われた経験と記憶こそが、個人を構築するのであって、わかりやすいところで言うと自分の体細胞からクローンが作られても、生物学的には自分と同一ですが、それはもう個人であるところの自分じゃない。最近、死体マウスからクローンが構築できた、iPSテラスゴスという論文がありましたが、こうなってくると、そうやって生まれた生命は例え細胞は一緒だとしても、もう明らかに自分じゃねえなということが直感的に理解しやすいかと思います。


つまり、何が言いたいかというと、感情・知性を持ちえた生物というのは、生物としての存在とはもう一つ別に、生命現象を高次的に多重性を持って内在しているということです。で、ヒトというのは一応地球では最初の知的生物ということになっています。知的生物は、普通の生物として遺伝子を次世代に伝達するということだけではなく、高次に生じた生命たりうるモノ、すなわち情報を確実に次の「環境」に伝達することでこそ、やっとその存在意義が生まれると思います、はい。

そんなわけで、「伝えなきゃ意味が無い」という感覚は、自分の中でここ数年になって急激に強くなってきたものです。何でもいい、それこそ死に物狂いで伝えなきゃいけない、という感覚があります。何に伝えるか? 宇宙の向こうか、百万年先に地球にいるかもしれない、次の知的生命体か、まあそんなところかなというイメージです。どうでもいいですが、新しくつけたウチのblogタイトルと関連させています。

パイオニア号ボイジャー計画はまさに神がかり的な、ヒトの出現した意義を見事に体現した、極めて高レベルな、すばらしい研究プロジェクトだと思います。

(余談)
なぜ急にこういう話を書いたのかと言いますと、そういうことを常日頃考えているからというのもありますが、たまたまテレビを眺めていてこういう番組を見たからでした。太田光はあんまり(というか全くもって)好きではないのですがネ。三浦教授の「意思は(今のところ)人間には作れない」は深いコメントでありました。上に書いたように、生命現象として多重構造になっているからじゃないのかしら? と漠然と感じています。

(余談2)
愛してやまない漫画の一つ「蟲師」。中でも5巻の「沖つ宮」がその最高傑作だと勝手に思っているのは、こういうことばっかり考えているからでありましょうな。

2009.02.25(Wed) - blog
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